何のためのHTML?

みなさんは、何のためにHTMLを身につけようとしていますか? 趣味の情報を公開する、仕事で使う、自分史をオンライン出版するなど、それぞれいろいろな目的があることでしょう。どうせ情報発信するなら、きちんとしたかたちでと、正確なHTMLを知りたいと考える方もいらっしゃると思います。そう、HTMLはそうした目的のための手段なんです。

道具としてのHTML

かつて「別冊宝島」に『道具としての英語』というシリーズがありました。受験英語のような複雑なものではなく、Basic Englishと呼ばれる800語程度の英語で十分コミュニケーションができるのだ、ということを謳っていて、英語に関しての考え方にずいぶん影響を受けた記憶があります。

HTMLもまさにこれと同じです。複雑なレイアウトやスクリプト/プラグインによる視覚効果がないと一人前ではないなどということはありません。ごくシンプルなタグセット(それこそXHTML Basic)で十分。要はそれを使って何を伝えたいかということが重要なのであって、HTMLはそのための道具に過ぎないのです。

もちろん、道具は正しく使ってはじめて本来の力を発揮するように、英語でもHTMLでも、正確な用法を理解することは大切です。『道具としての英語』でも、いい加減なフィーリング英語ではなく、学ぶためのきちんとしたメソッドがあることを主張しています(フィーリングHTMLは勘弁してほしいですね)。

しかし、それは道具の用法を全てマスターせよということではありません。『道具としての英語』(しくみ編)では、be, have, get, wouldというわずか4つの単語を掘り下げることで、英語の基本的な(そして本質的な)使い方を示します。HTMLも同様に、まずごく簡単な基本正確に身につけて、道具として使いこなしましょう。おそらくこれが、“環境に依存せずに情報を共有する”という本質を理解する早道なのだと思います。

少し考えれば、当たり前の話なんですよね。

よいHTMLを書くということ

このサイトのいろいろなページではよいHTMLの書き方を強調しています。よいHTMLとは、せっかくの情報を、できるだけ多くの利用者に読んでもらえるように記述するということ。よいHTMLは、現在のさまざまなブラウザだけでなく、将来出現する新しいブラウザでもきちんと表示されます。そうでないHTMLは、たまたま手元のブラウザではうまく見えるかも知れませんが、ほかの環境や将来のブラウザでは全く意図に反した表示になる可能性があります(フィーリング英語は、たまたま通じることがあっても、長い目で見ると役に立たないのと同じです)。

またよいHTMLは、コンピュータの力を利用した情報共有にとっても大切です。コンピュータは人間ほど融通が利かないので、文字サイズが大きいだけではそれが見出しかどうかを判別することはできません。HTMLがルールに則って書かれていれば、コンピュータは見出しや定義などの要素を的確に判断でき、処理の自動化が可能になります。

肩肘張らず、でも自分の情報を過小評価しないで

もっとも、何が何でも全てのHTMLを厳密に書かねばならないという教条主義を取る必要はありません。私的なページは気楽に書くことにして、それほど「正しい」書き方にこだわらないというのも一つの考え方です(身内の会話で文法ばかり気にしていたら、食事がまずくなります)。多くの人と共有する情報だけを、「正しく」書けばよいわけです。

とはいうものの、自分ではつまらないと思っている情報が、別の人にとってはとても貴重なものかも知れません。また、一時的な情報のつもりで作ったものが、どんどん発展していくということもあるでしょう。いい加減なHTMLをあとで修正するのは大変ですから、できるだけ最初からきちんと書いておくことをおすすめします(それに、正しいHTMLは自分のためにも有益なんです)。

〔補足〕

Note: 文法的に正しく書くこと自体が目的ではありません。正しく書くことで多くの人が利益を得られるようにすることこそが大切です。重箱の隅をつつくような粗探しは、HTMLを書くのが嫌になるだけですし、逆に文法上は正しくても、内容が不親切ではあまり意味がありません。本末転倒にならないように注意しましょう

〔以上補足〕

で、役に立つの?

こんなメールを受け取りました:

はじめまして。
僕は○○といいます。
HTML初心者です。
こんな僕でもホームページ作成代行を目標に日々、勉強の毎日です。
無理でしょうか?なんだか、最近はみんながHTML使えるような気がして、自分の
やってることにたいして自信がもてません。
教えてください。このまま勉強をつずけてよいものか、ということを。
いま、すごく自分のやってることに疑問をもっています。

お返事まってます。

けっこう荒っぽい質問に驚いたのはさておき、このメールの「HTML」を「英語」に置き換えてみると、実はこれは意外に普遍的な問いなのかも知れません。「翻訳(通訳)を目指して英語を勉強していますが、最近はみんなが英語を使えるような気がして、自分のやってることにたいして自信がもてません…」

英語にせよHTMLにせよ、基本的には「道具」なのですから、みんなが使えるようになるのは当然のこと(そうでないとすれば、教育やら啓蒙書の方向がおかしい)。本質的にはそれを使って何をするかがメインであって、道具そのものに深入りするのは一般的ではありません。

もちろん、プロの翻訳家や通訳、英語の先生など、英語力を職業の柱にする人もいます。同様に、HTMLだってその道具を極めれば、立派に仕事になります。ただし英語と違って、HTMLは将来は別の道具で置き換えられていくかも知れません。HTMLの枝葉末節の細部ではなく、マークアップの本質を掴んでおくことが、そうした変遷にも耐えうる力になるのだろうと思います。

そしてもっと大切なのは、勝負は道具だけではないということ。翻訳などの仕事でも、最終的には英語力だけではなく、日本語の力や文化的背景の理解が決め手になります。ウェブの世界でも、単にHTMLが書けるということだけではなく、利用者とのコミュニケーションが成立するようにページやサイトを設計する総合力が重要です。道具だけピカピカなのではなく、もっと広く、深く、ね。

○○さん、神崎です。

HTMLを英語に置き換えて考えてみましょう。これらはいずれも「道具」であっ
て、基本的には何かの目的を達するための手段です。英語にもHTMLにも、プロ
の人もいればアマチュアの人もいますが、それぞれのレベルで目的を達するた
めの道具としてこれらを使っています。

海外旅行に必要な英語力と翻訳のための英語力が異なるように、同じ道具であっ
ても、目的によって求められる習熟度が異なります。HTMLも、プロとして使い
こなすためには、それなりの理解と知識が必要ですから、日々勉強されること
は決して無駄ではないと思います。

そして、もっと大切なこと。翻訳は英語力だけでなく日本語力や総合的な文化
の理解が決定的に重要であるように、ウェブを制作するにもHTML以上に必要な
ことがたくさんあります。究極的には、ウェブでの表現はコミュニケーション
と考えることができますから、そういったことに関してもいろいろと研究され
ると良いでしょう。

勉強の成果が上がることをお祈りします。

当たり前の話でしたか?