Management Science

B8834 Operations Research / Management Science
Prof. Michael Held

「ところでヘルド先生、このマネジメント・サイエンス(MS)というやつは、何の役に立つんでしょうね。」毎学期、少々ヒネた学生が、たいてい最初の授業でこういった質問をする。IBMの学術コンピュータ開発の草分けでもあったヘルド教授は、こちらもいつもと同様の困ったようなとぼけたような顔をしながら、「そう、それはいわば究極の質問だワナ。実際、MSの応用例は山ほどあるが、ま、次回までにちょいと突っ込んだ答えを用意してくるとしよう・・・」などと述べてすましている。

究極の問題を考える前に、しかし我々は、ひとつ整理しておかなければならない命題をかかえている。ビジネススクールとは一体何物であるのか。

一般にビジネススクールの日本語訳は「経営大学院」とされているわけだが、誰もがこれにはいくらかの違和感を覚えていることだろう。よく知られているように、アメリカで大学院というと大きく分けてアカデミック・スクールとプロフェッショナル・スクールの二つがある。ビジネススクールはもちろん後者に属するものであり、日本で言う大学院はほぼ完全に前者のイメージだ。このずれが違和感の原因であることは改めて言うまでもない。

われわれは挨拶状に「この度○○経営大学院にて云々」と書きながら、明らかにその滑稽さを自覚していた。つまり二つの大学院の違いを意識していたはずだ。しかし、いざ当地に来るとこの差異はあっさりと忘れられてしまう(あるいははじめから分かってないのもいる?)。ビジネススクールを学問の府であると錯覚するのだ。そうして、最初の授業が始まり、職業戦士の士官としての教育(訓練)が課されるやいなや、むくむくと疑問が湧き起こる。 大学院 で勉強しているのに、なぜ頭が悪くなっていくような気がするんだ? これでは幼稚園のお遊戯を反復練習しているみたいではないか!

けれども、勘違いしてはいけない。ビジネススクールは経営のための共通言語を身につけ、誰もが同じ判断を下せるようにトレーニングをするところなのであって、独創性を育てる場などではないのだ。

とは言うものの、「大学院」に来るはずだった者に救いの場がない訳でもない。ビジネススクールには、士官候補生たちが「何の役に立つ?」と首を傾げるような、辺境的な課目も用意されている。そして、その気になればそんな課目だけでも必要単位のほとんどを埋めることだって可能なのだ(ここがコロンビアBSの面白いところでもある)。

この課目(MS)では、コンピュータの論理、すなわちアルゴリズムを徹底的に理解しようとする。もちろん実際にはコンピュータが働くのだから、ビジネス・エリート諸君は頭を使う必要などない分野である。が、それを自分で考えてみるというのは、人間の思考の流れを一歩ずつ反省してみるようなものであって、この上なくスリリングであり、哲学的とすら言っていい。

ヘルド教授の場合は、線形計画法を中心に、未だに「正解」というもののない最適化問題などを解くためのアルゴリズムを料理していく。この教授の評価は両極端に分かれるらしい。頭を使うのが嫌いな人ほど、ヘルド氏を敬遠するようである。

(「ザ・コロンビア その魅力のすべて - 1989」の講座紹介より)