Time to Rid Orchestras of the Shakes
By Roger Norrington on The New York Times, 2003-02-16.
かつて古楽運動と呼ばれていたものにとって、まだ残された未開拓のフロンティアというものはあるのでしょうか? 1960年代と70年代にモンティベルディ、バッハなどといった分野を席巻したので、そのムーブメントはピリオド楽器と密接に結びつけて捉えられるようになりました。ピリオド演奏団体は、歴史的情報に基づくスタイル(historically informed style)と呼ばれるようになった奏法によって、近年その領域をモーツァルト、ベートーベン、シューベルト、メンデルスゾーン、そしてもっと後の時代の作曲家にまで拡げてきています。
しかし、古楽の演奏は常に、何を使って演奏するかよりも、どのように音楽にアプローチし演奏するかということを考えてきたのでした。そして、歴史的情報に基づく実践は、すでにずいぶん前から主流になっています。一時期は「モダンな」演奏家たちを困惑させた要点の多く -- テンポ、オーケストラの配置、弓の速度、アーティキュレーション -- は、いまやほとんど当然のこととして受け止められています。モーツァルトの交響曲のアンダンテ楽章で、本当にゆっくりしたものに出会うのは、希なことになっています。残された大きな問題は、ロマン派の時代にオーケストラが生み出していた音(sound)です。
聴き手として、私たちはすでに、モンティベルディやバッハが普通はピュアな音色(tone)で演奏されることに馴染んでいます。ビブラート(ヴィブラート)、すなわち音をより強力にするために瞬間的に音程を揺らすこと、が絶え間なく使われたりはしません。ピリオドオーケストラの助けを借りて、私たちは徐々にハイドンやモーツァルト、時にはベートーベンも同じ音で奏されることに親しんできました。しかし、ここロマン派時代の入り口においては確かに、ピュアな音色については疑問を投げかけられるでしょう。少なくともベルリオーズの時代以降のオーケストラは、今日と同様のビブラートを使っていたのではないか?
全然、ちっとも。ビブラートは、1830年代の特徴からは遙かに隔たったもので、それは欧米のオーケストラでは1930年代までは一般的ではなかったのです。
しかし驚くべきことに、演奏者も聴衆も、それ以前の偉大な作曲家たちが誰一人として期待も想像もしなかったオーケストラの音に、全面的に慣れ親しんでしまったようです。ベルリオーズやシューマン、ブラームスやワーグナー、ブルックナーやマーラー、シェーンベルクやベルクがその傑作を書いた時、オーケストラの音はただ一種類だけが存在していました:暖かく、表現力豊かで、ピュアな音色。私たちが慣れてしまったグラマーなビブラートのない音。
「グラマーな」という言葉は、新しい音をよく表しています。この言葉は、1920年代以前はほとんど用いられませんでした。それはハリウッド、流線型のカーデザイン、ラジオ、遠洋定期船、そして初期の飛行機といったものとともにやってきたのです。それは、コンサートを近代化する他の試みとも一致していました。たとえば第1バイオリンと第2バイオリンを対向させずに一緒くたにしてしまうとか、ガット弦がスチール弦に置き換わるとか、交響曲やコンチェルトの楽章間の拍手が徐々に排斥されていったというような。
確かに、ある種のビブラートは、独唱歌手あるいは器楽の独奏者にとっては、良く知られたものでした。18〜19世紀において、それは表現力を高める手法であり、長い音を訴えかけたり、特に情熱的な瞬間をはっきり示すために用いられました。20世紀になって新しく加わったのは、全ての音符に、どんな短いものであっても絶えずビブラートをかけるというアイデアです。
偉大なオーストリアのバイオリニストであるフリッツ・クライスラーが、カフェの音楽家やハンガリーやジプシーのバイオリン弾きのスタイルを取り入れて、この方法を始めたように思われます。しかしクライスラーの録音を聴くと、誰もがそのビブラートの繊細さに驚くことでしょう。今日しばしば耳にする強引なピッチの変動ではなく、もっとずっと上品なゆらめき。
多くのソリストたちは一線を画していたにもかかわらず、新しいマンネリズムは急速に広まっていきます。そのなかで、それはひとつの分野においては頑強に、しっかりと拒まれていました:オーケストラ、特にドイツのオーケストラにおいて。その経過の全体像は録音された演奏からうかがい知ることができます。録音技術はちょうどビブラート時代が始まった頃に導入されました。1900年以降、偉大なソリストとオーケストラが、最初は前の世紀からのピュアな音色で演奏しており、そして今日私たちが知っているものに徐々に変化していくのを聴くことができます。
しかし、ごく徐々になのです。20年代の初期には、流行に敏感でエンターテインメント志向のフランスの奏者たちが絶え間ないビブラートを試し始め、そして20年代後半にはイギリス人がその先例に倣いました。しかし、高潔なドイツや大きなアメリカの団体の大部分は、30年代になるまで手を染めませんでした。ベルリン・フィルは1935年まではっきりしたビブラートの録音は出てきませんし、ウィーン・フィルは1940年までありません。
ですから、20世紀前半のバイオリン協奏曲の録音を聴くと、ソリストはビブラートを使っていますが、ドイツの最高のオーケストラはピュアな音色で演奏しています。当時はそれが普通だったのだと思われます。
ソリストたちを悪趣味とみなす人々もいました。オーケストラのほうが古臭いと思う人もいました。不思議なことに私たちは、この重大な変化の時代に生きた人々がこのことについて語った例をほとんど知りません。確かに、シェーンベルクは、ビブラートを雄ヤギの不快な音になぞらえました。しかし、エルガーは、彼の高貴な世界がなくなってしまう時に何を感じていたのでしょうか? そして、トスカニーニ、フルトベングラー、ワインガルトナー、クレンペラーといった指揮者たちはどうだったのでしょう。彼らは、一方の音で育ち、そして共演するオーケストラからもう一方の音を受け取ることになったのです。
演奏者たちにとっては、この変化はおそらく指揮者にとって以上に重大です。アメリカ中のオーケストラで、抵抗があったはずです。たとえば、フランスで訓練を受けたフルート奏者がボストン交響楽団やフィラデルフィア交響楽団に入団して、木管楽器に新しいアイデアを紹介していったときなど。
この闘いのまっただ中にいた人物が、アーノルト・ロゼーです。彼はウィーン宮廷歌劇場とウィーン・フィルのコンサートマスターを、1881年からナチによって追放される1938年まで務めました。彼は、義兄弟であるマーラーが歌劇場を指揮した期間全体にわたって、オーケストラをリードしました。私たちはロゼーの四重奏団の録音を、1928年まで下って聴くことができます。そこで彼は、模範的な明晰さと自然さで演奏し、モダンなビブラートに類するものはまったく聴かれません。
というわけで、もしピュアな音色がこれらの偉大な作曲家にとって満足のいくものだったとしたら、私たちが近代のグラマーなオーケストラの音色を聴く時に、何が失われているのでしょうか? グラマーな化粧を削ぎ落としたら、オーケストラのサウンドは多くの点で得るものがあります。テクスチュアは透明になり、まさにサウンドの内部を聴くことができます。不協和音はよりシリアスで辛辣なものとなります。
音がグラマーになっていないので、フレージングがいっそう重要になります。今日のオーケストラは、形(shape)ではなく音(sound)に依拠する傾向があります。しかし、音楽は音のためのものではありません。音は単にその素材なのです(絵の具が絵画の素材であるように)。音楽が表すものは、身振り、色、形、形式、そして何よりも、感情の強さなのです。
さらに、ピュアな音色は19世紀の音楽の非常に重要な特徴を復元します:その純潔さです。私たちは、純潔はバロック音楽の専売特許であると考えがちです。しかしそれは間違いなくメンデルスゾーンの音楽の特徴であり、ブラームスやチャイコフスキーにおいても同様に重要なのです。
では、このクリアで高貴な19世紀の音は、通常のオーケストラに戻ってくることができるでしょうか? いくつかのモダン・オーケストラは、すでにその配置を、巨匠たちが作曲時に念頭に置いていたヨーロッパ型に変更しています。これらのオーケストラは、ごく容易に、そのサウンドをメンデルスゾーンやブラームスやマーラーのものに戻すことができるでしょう。
そうする理由は、ピュアな音色が「正統的」だからではありません。それは美しく、表現力豊かで、エキサイティングだからなのです。