春祭のパート譜が汚いのでスコアを見ながら修正していたら、音としては同じだけれども、音楽の構成上、かなりスコアと違う書き方になっていることに気付いた。149
からの「聖なる踊り」の部分で、ブーレーズの分析でも詳しく検討されている箇所だ。
ブーレーズはここを
a5 b4 c4
a3 b4 a5 c4
a5 c4 a3 a3 a3 b4
a3 b4 a5 c4
という具合に整理して(ただしa,bにはベクトルのように→←を付けたバリエーションがある)、見事にそのシンメトリーの構造を示している。つまり、2行目と4行目は全く同じだし、3行目は3つのa3をまとめれば、2行目の前半と後半を入れ替えたものだということがわかる。
しかし、パート譜を見ていると、これがどうにもちぐはぐ。ブーレーズが「細胞」に分けているのとは異なる形で32分音符の「旗」がつながっていたりするので、構造が浮かび上がらないどころか、全然違う形に見えているのだ。演奏していても、この辺りのずれが気になっていた。
ところが、Boosey & Hawkesのスコア(1967年版)を見ると、パート譜とは旗のつながり具合が大きく異なる。そして、このスコア通りに旗をつなぎ直すと、今度は完璧に上記の「細胞」が見えてきた。パート譜もいちおうBoosey & Hawkes 1967ということになっているのだが、この違いは何だろう。
楽譜の製版上の都合か何だかよく分からないが、いくら渡辺裕が「楽譜は絶対ではない」と主張しようと、この違いはかなり本質的ではないかと思える。それとも、ストラヴィンスキーは、自作の構造が明確になりすぎると面白くない(逆に意図に反する)ということから、途中で敢えて楽譜に手を入れたんだっけ? Doverから古い版のリプリントが出ているようなので、こんど入手して比較してみよう。
いずれにしても、構造がはっきりする方が演奏していてもしっくりくるので、パート譜はスコアに合わせて書き直すことにする。