少々こういう反応には倦んできたので、ちょっとだけ整理しておく。(1)メタデータの語彙は自由に定義できて、同じ属性を複数列挙してもかまわない; (2)セマンティック・ウェブは形式情報だけではなく内容に関するメタデータの記述こそを目指す。何だか、当たり前すぎる話で困るんですけど。
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メタデータは
複数分野にまたがるような微妙な範囲を持つような情報の扱い
ができなくて「構造の隙間」を甘く見過ぎ
、という意見:ひとつのリソースにはひとつのメタデータ(プロパティ/値)しか与えられないと勘違いしてないかなぁ。何だってひとつの「分類」に押し込めようとすると無理が生じる。しかし、たとえば
dc:subject
は1個に限定されているわけではないから、複数のカテゴリーに属すると思えばdc:subject
を列挙すればいい。さらに、必要ならプロパティを独自に定義できるし、その値も共通の分類やシソーラスが使えるなら使う、そうでなければ自分で定義してかまわない。その定義が、既知のプロパティや語彙体系とどんな関係にあるかを明示することで、意味のネットワークをつくろうということ。 -
セマンティックWebというのは著者や作成日時などの情報の単なる形式属性を記述するための規定と捉えるべきではないか
、という意見:Dublin Coreのようなシンプルで基本的な語彙にも
dc:description
とかdc:subject
といった「内容を表現する」プロパティがあるわけだが、これらはセマンティック・ウェブの範疇ではなくて、dc:date
とかdc:format
あるいはdc:creator
程度が対象だってこと? FOAFやRSSですら、もう少しましな「セマンティック」を表現している。単なる形式属性だけなら、HTTPやHTMLで十分。
当たり前すぎて徒労のような気がするのだが、もしかすると氷山の一角かも知れないから、気力をふりしぼってメモ。ピリオド。
- ダブリン・コア・セミナー (2004-03-08)
- セマンティック・ウェブが目指さないもの (2004-02-24)